Zzataka

不思議なことに、戦後書かれた日米戦争に関する歴史書は、内外を問わず、ことごとく真珠湾事件から始まっています。
何故、日本が真珠湾を攻撃しなければならなかったのか、その因果関係についてが触れられていません。

突然日本の軍人が平和に暮らす真珠湾を攻撃した。だから日本を懲らしめるために、国が立ち上がった、軍隊は暴力装置であり、その装置が暴走して無謀にも圧倒的国力を持つ米国に対して侵略を開始した、というわけです。

しかし、これは理屈に合わないことがすぐにわかります。ちょっと考えればわかることです。

第一に、日本の軍隊は、日本国の正規軍です。正規軍は国家の意思のもとに動きます。支那の軍閥ならいざ知らず、何の理由もなく国軍が動くことはありません。

第二に、日本に侵略意図があったのなら、真珠湾であれだけの戦果を挙げ、かつ無傷だった日本は、そのまま米国本土まで侵攻するか、すくなくともハワイ全土を占領することもできたはずです。にも関わらず、日本は、米軍の艦船だけを攻撃し、そのまま引き揚げています。つまり、日本に米国侵略の意図など、まるでなかったということです。

第三に、戦争というものは、何の脈絡もなく、突然はじまるものではない、ということです。国家の意思と関わりなく突然始まるものは、事件または事変です。日米は戦争です。戦争には戦争目的があり、かつその目的を生むだけの経緯があるものです。

しかし、米国の歴史家モーゲンソーによれば、近代ではすべての戦争責任は敗戦国に押しつけられる慣習になっており、自国に都合の悪い歴史研究は喜ばれないと書いています。(「真珠湾」)理不尽な話です。

そこで真珠湾事件をちょっと遡ってみると、面白い事実がぞろぞろと出てきます。

直前の昭和16(1941)年11月のハルノート要求、
7月の米国の日本資産凍結やABCD包囲網、
5月からの支那南部における米陸軍航空隊の義勇軍を偽装した宣戦布告のない対日攻撃、
昭和14(1939)年の通商航海条約の一方的破棄、
昭和12(1937)年の支那事変勃発時における日本の講和仲介依頼への拒否、
同年の蒋介石への15億ドルに上る軍事援助事件、

などなど、米国による反日戦争行為が沢山出てきます。それ以前にも、米国の強い日本敵視方針が見られます。

「戦争は外交(国際戦略)の延長である」と言うのは、有名なドイツプロイセンの戦略家クラウゼビッツの言葉です。では戦前の米国は、どんな極東戦略で日本を敵視し、何故日本を滅ぼそうとしたのでしょうか。

戦前の日本の対米姿勢は言うまでもなく一貫して友好に努めました。常に四海に和を求めようとする日本の姿勢は、いまも昔も変わりません。

ワシントンの桜は有名ですが、これは戦前に日本が日米友好のために贈ったものです。また米国産業界にとっても日本は世界第三位の、支払いで問題を起こさない、上得意の輸出国でした。日本の対米輸出は、現在と違って生糸ぐらい。米国の対日貿易収支は、大幅な黒字になっていたのです。それなのになぜ、ルーズベルトは牙をむき、日本を追い詰め、米国は最後に原爆まで落としたのでしょうか。

いまでも多くの大学では、日米関係史において、パーセプションギャップ(誤解)が原因であったと教えています。日米が互いに政策を誤解して戦争になったという考えです。

しかしこれは史実を調べると全くあり得なかったことです。実際には、米国に追い詰められて日本が自衛上反撃したのです。

ヘレン・ミアーズ女史は戦争前の外交記録を調べれば、米国が日本を一方的に圧迫した事は誰の目にも明らかであると記しています。(「アメリカの鏡日本」) 

日米戦争の発端とされる真珠湾事件については、グルー大使の日本の攻撃計画の警報は事件の十か月前にハル長官に通報されており、現在インターネットで公開されています。
<ご参考>
駐日大使グルーの国務省あての公電報
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-773.html

前年からの日本暗号解読の事実は、昭和20(1945)年8月末に、米国で公表されているのです。ということは、真珠湾事件は米国にとって「奇襲」でもなんでもなく、既知の出来事であったのです。にもかかわらず予想外の被害が出たのは、米海軍が日本の新型浅海用航空魚雷を知らなかったためです。

要するに、米国の対日戦争は明らかに準備されていました。ではその動機は何で、その政策はどこまでさかのぼるのでしょうか。

実は、この問題をずっと遡ると、満州がクローズアップされてきます。簡単にいうと「米国は満洲が欲しかった」ということです。この一点で、米国の対日敵視政策の謎が全部解けてしまいます。

多くの人は、あれほど広い領土を持つ米国が、満洲など狙うはずがない、と思うかもしれません。しかし当時の米国は、白人の「植民地主義国」の一つに過ぎません。

米国人は「民主主義」を自慢しますが、その実態は「人間は平等である。但し有色人種は除く」というものです。米国の白人は、欧州の強欲な白人国家と同様、アジアに植民地を欲していたのです。

米国の極東進出戦略は、明治32(1899)年のジョンヘイ国務長官の「支那門戸開放機会均等」宣言に始まっています。

米国は西部開拓が終わると太平洋に進出し、ハワイを占領し、スペインから独立したばかりのフィリピンを武力占領して植民地にしました。そして次の標的が清朝滅亡で統一政権が失われて軍閥が割拠していた支那満洲だったのです。

米国は、日露戦争では日本に好意的でした。しかしそれは目的があってのことです。当時、ロシアが満州全土を占領しようとしていた。これを阻むために、日本に手を貸したにすぎません。

日露戦争後に交されたポーツマス講和条約では、南満州鉄道権益が日本に割り当てられていますが、米国は後から取り上げるつもりであったとされています。実際、小村全権の帰国前に米国鉄道王ハリマンが日本政府に対して、南満州鉄道の買収を申し出ています。

日本政府が小村の意見で、この申し出を断ると、米国の対日姿勢はガラリと反日に180度転換しました。これはハリマン提案が単なるビジネスではなかった証拠です。この後米国の対日政策は一貫して敵意と反感に満ちたものに変わりました。

ただし、米国本土から八千Kmも離れた支那満州への直接介入は、米国民に対して正当化が難しいものです。そこで米国は、支那の軍閥をひそかに援助することで、対日条約違反行為をやらせていました。日本が協定違反を抗議しても、まったくの放置です。

米国の元外交官マクマレーは、大戦後の極東情勢を正確に予測して、日米戦争の回避に努めたことで有名ですが、彼は1920年代のワシントン体制を一番守ったのは日本であり、破壊したのは米国であったと明確に記しています。

日本は、張学良の排日行為の激化により、昭和6(1931)年の満州事変で、自衛上やむなく張学良を追い出しました。すると、米国は早速、スティムソン国務長官が満州国否認宣言を発表しました(昭和7(1932)年)。満洲にこだわっていた米国の意思がわかります。

そして同年、国際連盟が満洲の白人植民地宗主国による共同支配を要求したので、松岡全権はこれを断固拒否して連盟を脱退しました。この決議の裏で糸を引いていたのが米国です。

この後米国は、昭和7(1937)年、ソ連が蒋介石を使って支那事変を起こすと、日本の講和仲介を断るだけでなく、反対に蒋介石に、当時のお金で15億ドル(いまの30兆円くらいの価値)という、途方もない金額の軍事援助を与えて戦争を継続させました。まさに火に油を注いだのです。満洲獲得のために、先行して日本を戦争に駆り立て、日本を疲弊させることが望ましかったのです。

昭和20(1945)年に日本が降伏すると、米国の朝野はこれで支那満洲が手に入ると期待しました。ルーズベルト大統領は、ヤルタ協定でスターリンと約束し、帝政ロシアの支那利権や日本の固有領土など米国の腹の痛まない権益を代償として満洲を代理占領してもらい、その後蒋介石を傀儡に支那満洲を支配する予定でした。

しかしスターリンは代償を手に入れると、あれほど堅く約束したヤルタ協定をあっさり破り、満洲を蒋介石ではなく毛沢東に渡してしまいました。原爆投下の脅しも、ソ連スパイ大統領特別補佐官アルジャー・ヒスによって米国政府内の厭戦気分を知っていたスターリンには無効だったのです。

この結果昭和24(1949)年、支那満洲全土は共産化し、米国は19世紀から営々と築いてきた支那の全拠点から追い出されてしまいました。マッカーサーは、「支那の喪失と共産化は、米国太平洋政策百年の最大の失敗であった」と総括しています。

日本の占領はそれ自体が米国の目的ではなかったのです。

米国の占領政策は、これを機会に、日本の武装解除から自衛促進にガラリと方向性が変わります。支那満洲進出が不可能になった以上、日本の占領は米国に何の利益もなく、却って国防代行が負担になってしまったのです。

そこで日本を早期に再軍備させるために独立させることにしました。ただ吉田首相は朝鮮戦争の直前だったので、新日本軍が国連軍名目で朝鮮半島の激戦地に送られることを恐れ、詭弁を弄してダレスの再軍備要請を断りました。

そして日米は安保条約を結び、今日に至っています。

マッカーサーは、昭和26(1951)年に更迭された、とされていますが、これも、彼の失政によるというより、国際情勢の変化に伴う役割の終了に他なりません。

マッカーサーが議会で大東亜戦争を日本が自衛のために行ったと述べたのは、個人的な歴史観ではなく、米政府から指示されて日本の再軍備を促進するために行った発言です。彼の占領統治中の反日宣伝で洗脳された日本人を解放するためでもあったのです。

以上が日米戦争の原因と今日にいたる経緯です。こうした米国の極東政策の変遷は、表面的には大きく変わりましたが、自国の利益を追求すると言う意味では一貫しています。

戦前、米ソの傀儡であった蒋介石は、戦後米国から役割終了で一度は見捨てられ、その後冷戦で関係が改善しましたが、彼は「米国という国は、それまでの関係にこだわらず、一夜にして百八十度の政策転換をする国であるから常に注意する必要がある」と述べています。

戦後の日本人は、米国人に狎れ過ぎていて、その恐ろしさに気づきません。日本人は国際関係の冷厳さを知り、早く自主独立することが必要です。また現在の米国もそれを求めています。

「過去は学ぶもの、未来は築くもの」といわれます。戦後教育は、常に歴史は「評価」するもの「批判」するもの教えてきましたが、これはおかしな理屈です。なぜなら、歴史を現代の価値観で批判や評価したところで何の意味もないからです。他方、批判や評価とはまったく逆に、過度に歴史を誇るという姿勢も決して感心したものではありません。なぜなら、いまがだらしなければ、決して良い未来は築けないからです。

70年前、私たちの国は、米国と大戦争を行い、我が国は、壊滅的とってよい、大打撃を被りました。その傷跡は、いまなお、私たちの国に深い傷跡を与えています。これだけ大きな影響のあった日米戦争について、我が国がこれまで、開戦原因についてきちんとした究明を行なって来なかったというのは、はなはだ不思議な出来事です。

疑問を正しく究明することは、日米友好の維持に反しません。むしろ国際政治の厳しさを日本人に再認識させるし、対米友好関係を強めるためにも、必要不可欠な要素といえます。なぜなら、過去を冷静に学ぶことこそが、現代を生き、未来を築く礎となるからです。

※以上の記事は、東近研の落合さんの文章をもとに、ねずきちが落合さんのご了承のもとに勝手に加筆したものです。

反日宣伝と日本人の対応

Tumblr では散々書いてるけど, 私は VOCALOID が最終的にもたらすものは「実演の無意味化」だと思っている。 今はまだ VOCALOID は楽器の一種に過ぎず, その実演には少なからず実演者の意匠性が入り込む。 しかし「実演の部品化」が進めば意匠性の入り込む余地は少なくなっていく。 例えば, 作詞を人工無脳が行い, 作曲を(「Chaos von Eschenbach」のような)自動作曲ソフトが行い, それを VOCALOID に唄わせたとしたら, その作品および実演は「誰」に帰属するのだろう。

○簡単に言ってしまうと、企業マインドがむちゃくちゃ悪くなっていて、「たとえ輸出が改善するのであっても、もう国内に工場を作るべきではないかもしれない」というムードになっている。国内市場には夢がない。むしろ、「地産地消」で中国に出て行ったほうがよいのではないか。製造業がこんな調子では、他の産業も推して知るべしということになる。

○ところが政府は、「製造業への派遣労働の原則禁止」にむけて動いている。ますます製造業の国内への投資意欲は削がれる理屈である。設備投資が増えない国で、雇用が増えるはずがない。この簡単な理屈が、今の政府は理解できていない。成長戦略がどうのこうのという以前の問題である。

○ちなみに「製造業の雇用が減っても、農業や介護で増やすからいい」というのは、とっても筋の悪いアイデアである。農業や介護ビジネスを振興するには、補助金なり社会保障費を増やさなければならない。しかもこれらは、他への波及効果が少ない産業である。あまりお得な作戦ではない。

○極論すれば、月例報告が設備投資の状況を読み違えた理由は、政府自身が「自分たちがいかに産業界に信用されていないか」に気づいていないからであろう。景気を二番底に誘導しているのはいったい誰なのか。せっかく輸出や住宅建設が上向いているのに、実に悩ましい状況であります。

かんべえの不規則発言 (via pdl2h) (via ittm) (via ipodstyle) (via yaruo) (via konishiroku) (via otsune) (via yaruo)
「通(つう)」には3種類あるという話。「通る人(とおる人)」「通う人(かよう人)」「通じる人(つうじる人)」。twitterやはてブで「面白い」と思ったものを脊髄反射的にRTやブクマしてる人というのは「通る人」だと思うのだよね。

あちこちの蕎麦屋をただひたすら回っているだけの人で、まだ自分の「舌」(価値判断の基準)ができていない。情報を表面だけ食い散らかしてるだけで、考えていない。せっかく大量の情報に晒されているのだから、それをきっかけに自分の考えを深める方向に役立てればいいと思うのだけど。

たぶん何かのツイートをRTした人が1000人いれば、999人は「通る人」なのだろう。単に情報の前を通り過ぎるだけ。その人の中には後になにも残らない。

   *   *   *

特定の情報に興味を持ち、自分で関連する情報などを探し回って、知識を深めようとする人は「通う人」なのだろう。それなりの知識がその人の中に蓄積され、その事柄について一家言もつ状態になる。自分の支持する考え方が固まり、それに関して他人と議論しても、簡単にはボロが出ない程度の議論ができるようになる。

ただしその考えが正しいかどうかは別な問題。同じぐらい完成度を持ち、議論にも耐えられる正反対の主張も存在する。いわば論客同士の代理戦争であり、一昔前のネットでは「バトルウォッチ」の対象だった。最近は数が減ったし、レベルも小粒になものが多いが…

   *   *   *

では「通じる人」とは…?多分その人は明確な答えを言わない人なのではなかろうか。そもそも長年決着がついてない問題というのは、決着がつかない相応の理由があるわけで、通じる人というのは、そういう経緯にすべて通じている=知っているわけだ。

この反論にはこの反論という具合に、もうおよそ素人が思いつくような主張はすべて、どういう展開の議論になってどういう結末を迎えるか、頭に入っている。だから「通じる人」自身はもう議論にはほとんど参加しない。

せいぜい他人が議論しているのを見て、断片的に知識を補う程度(その反論については、こういう再反論がなされているよ、みたいなことをするだけ)。「あなたの結論は?」と尋ねられても、ストレートには答えない。というよりも「単純な答えはない」というのが答え。

   *   *   *

この域に到達している人というのは、多分日本全体でもそれぞれのジャンルに数名ぐらいしかないのではなかろうか。なんか以前はてな村の人々の話で「この人とは戦いになった時点ですでに負け」というのがあった。表現は違うが同じことを表しているかもしれない

まあ俺を含めて、口から泡を飛ばして自分の意見こそ正しいと主張している人間は、まだまだひよっこですな(苦笑)。
オレはそこで長期入院中の高校生に九九を教えたことをきっかけに、そういう家庭の教育問題を考え始めた。そして信じられないほどたくさんの家庭が、「知」というものとまったく無縁であることに気づいた。 この高校生は、入学して1年生になる春休み、つまり入学式前に無免許バイクで事故を起こし、足の骨を欠損して1年以上の入院を予定されていた。 話してみると非常に頭の回転が早く、覚えも良く、普通の教育を受けてれば大学院の友達の多くより優秀になりそうだった。しかし九九すら知らず、親には「そんなカネのかかる治療は要らない、足を切断しろ」と言われたと落ち込んでいた。九九は覚えたものの、それ以上の勉強には興味を示さず、寿司職人になると言うようになった。

近年の考古学の進展をまったく無視した東京書籍の歴史教科書。



■1.「大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって」

 東京書籍版(以下、東書)の歴史教科書は、弥生時代の始まりについて、こう述べている。

 紀元前4世紀ごろ、大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって、稲作が九州北部に伝えられ、やがて東日本にまで広まりました。[1,p19]


 さらに銅剣、銅鏡などの青銅器、武器や農具の鉄器などの金属器も伝わった。「弥生土器という、新しい上質の土器」も作られるようになった。

 すなわち稲作、鉄器、弥生土器という新しい文明が、「大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々」によって、もたらされたという。
 この歴史教科書を読むと、幕末・明治の日本人が渡来した欧米人によって西洋文明を学んだように、日本列島の遅れた縄文人が朝鮮半島からの渡来人に新しい文明を学んだ、というように思ってしまうが、それは正しい理解なのだろうか?


■2.両書の記述の食い違い

 一方、育鵬社版(以下、育鵬)の歴史教科書は、弥生文化の始まりを次のように記述している。

 わが国には、すでに縄文時代末期に大陸からイネがもたらされ、畑や自然の湿地で栽培が行われていました。その後、紀元前4世紀ごろまでに、灌漑用の水路を伴う水田での稲作が、大陸や朝鮮半島から九州北部にもたらされると、稲作はしだいに広がり、東北地方にまで達しました。[2,p24]


 細かく比較してみると、両書の記述はかなり食い違っている。

・稲作はいつ始まったのか? 

 東書:「紀元前4世紀ごろ」(紀元前400-300年)
 育鵬:「稲作は縄文末期から」(紀元前1300 - 800年)
「水田での稲作は紀元前4世紀までに」(紀元前400-300年)

・稲作は、どのように伝えられたのか?

 東書:大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって
 育鵬:大陸や朝鮮半島から

 さらに育鵬では、「水田稲作の伝来ルート」と題して、地図上に、朝鮮半島経由の他に、江南(長江下流部)から直接、北九州へのルート、台湾から沖縄経由で九州へのルートが図示されている。その上で「複数の説があり、山東半島から朝鮮半島経由のルートが最も有力とされている」と説明している。

 それぞれ、わずか数行の記述だが、両書の説くところはこれだけ違っているのである。


■3.稲作はいつ始まったのか?

 たとえば、最新の歴史全集である小学館の「日本の歴史シリーズ」第1巻で、サントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞した『列島創世記』(松木武彦)には、こんな一節がある。

 かつて、弥生時代の開始を告げるもっとも明確な指標と考えられていたイネは、西日本ではすでに縄文時代後半から存在していた可能性が高いことがわかってきた。

土器の表面にイネ籾(もみ)の圧痕(あつこん)がついた確実な例は、約4500年前の縄文中期のものが今のところ最古だ。[3,p160]


 またWikipediaの「稲作」の項では、次のように述べられている。

 日本列島における稲作の歴史は長きに亘って弥生時代に始まるとされてきた。しかし、近年になって縄文後期中葉に属する岡山県南溝手遺跡や同県津島岡大遺跡の土器胎土内からイネのプラント・オパールが発見されたことにより、紀元前約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていたとする学説が有力となってきた。[4]


 これだけ見ても、東書の「紀元前4世紀ごろ、・・・稲作が九州北部に伝えられ」という一節が、こういう研究成果を無視していることが分かる。

 東書の著者はこの稲作を「水田での水稲耕作」という意味で使っており、陸稲は別の話と言い逃れることもできようが、文面ではあくまで「稲作」としか書いていないし、縄文時代に陸稲栽培がなされた史実にも触れていない。

 育鵬の「稲作は縄文末期」(紀元前約1300-800年)」という表現は、最近の学説まではいかないが、それでも稲作が縄文時代に遡ることは明記している。


■4.二つのまったく異なる縄文像

 東書の歴史教科書で学んだ中学生たちは、次のように理解するだろう。

東書: 縄文時代の日本人は農耕を知らず、紀元前400-300年頃、朝鮮半島から渡ってきた渡来人によって、ようやく稲作を教わった。

 一方、育鵬は縄文時代の項でも「クリやクルミ、あわやひえなども栽培しており、原始的な稲作も始まっていました」と紹介している。[a]

 すなわち、農耕技術はすでに縄文時代から発生しており、そこに外来種である稲が伝わってきて、新たな農耕の対象品目の一つとして加えられたのである。これと合わせ読めば、以下のように中学生たちは理解するだろう。

育鵬: 縄文時代の日本人はすでに様々な作物の農耕を行っていたが、紀元前1300-800年には大陸から伝わった稲を耕作に取り入れ、紀元前400-300年頃までには、灌漑用の水路を伴う水田での稲作が伝わって、全国に広まった。

 東書と育鵬の二つの縄文像がまったく異なることに注意したい。


■5.東北地方に伝わった水田技術

 すでに「クリやクルミ、あわやひえ」などの農耕を行っていた縄文人たちにとって、水田稲作を新しい技術レパートリーの一つとして取り入れることは、それほど大きな変化ではなかったようだ。この点は、『列島創世記』の中で紹介されている東北地方での最古の水田の記述から、窺うことができる。

 紀元前600-500年頃、東北でも北端に近い津軽平野に最初の水田が営まれている。青森県弘前市の砂沢遺跡である。なだらかな斜面に幅7~9メートル、長さ10メートルほどの6枚の水田と、水を引くための溝が作られていた。

 日本海の対馬暖流に乗って、海沿いに水田耕作技術が伝わってきた可能性が高いが、西日本の稲作につきものの石包丁や伐採用の大型石斧が見当たらない。また武器や青銅器もない。逆に、石剣や土偶など縄文風の文物が多数、見つかっている。

イネそのものと、イネを栽培するという知識だけが、本来それに伴うべき道具のセットや、それを中心的な生業とする社会の形などから切り離されて、単独で伝わっているのだ。

おそらく、その知識を手がかりに、手持ちの道具を用いて、なかば自己流に開田・耕起・収穫などの作業を行ったのだろう。[3,p224]


 縄文時代から地域間の交流・交易は、我々の想像する以上に進んでいた。[b]で述べたように、紀元前3500年頃から栄えた青森県の三内丸山遺跡では、新潟県のヒスイ、秋田県のアスファルト、岩手県のコハク、北海道の黒曜石などが見つかっている。

 したがって、日本海の対馬暖流を利用した交流を通じて、西日本のイネと水田耕作の知識が東北に持ち込まれて、そこで水田耕作が試みられたのであろう。そんな事が可能なのも、そもそも基盤となる農耕技術そのものが、確立していたためである。

 すなわち縄文人にとって、水田耕作の技術はそれまでの農耕技術の自然な発展の一段階ではあっても、従来の生活や社会を根底から覆すように革命的なものではなかった、と言えよう。


■6.イネのDNA分析で実証された大陸からの直接伝来ルート

 もう一つ、稲がどのように日本列島に伝わったかについても、先に述べたように、二つの教科書の記述は微妙な違いがある。

 東書:大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって
 育鵬:大陸や朝鮮半島から

 総合地球環境学研究所教授・佐藤洋一郎氏は、日本の各所の遺跡から出土したイネの遺伝子を調べたところ、日本各地に点在するRM1-b遺伝子が、中国大陸には90品種中61品種で見つかっているのに、朝鮮半島での55品種では全く存在していない、という事実を発見した。[5]

 これは、すなわち育鵬の記述するように、中国大陸から朝鮮半島を経由せずに、直接、日本列島にもたらされたルートもあったことを示唆する事実である。

 紀元前6000年から5000年頃と推定される中国長江流域の河姆渡(かぼと)遺跡では、大量の稲モミなど稲作の痕跡が見つかっている。[c]で紹介したように、この長江文明の高床式の倉や太陽信仰、鳥信仰は、日本古代とうり二つである。

 紀元前2200年頃から気候の寒冷化・乾燥化が起こり、黄河流域の漢民族が南下して、敗れた長江文明の民の一部が海に逃れ、日本列島に漂着したという説がある。DNA分析が示唆する、イネの大陸から日本列島への直接伝来ルートは、この説によく合致する。


■7.「大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって」?

 いずれにせよ、こうした最近の考古学の進展から見て、東書のように、稲作が「大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって」もたらされたと断言することには、違和感がある。

「おもに」と書いてあるから、他にもルートがあったことは分かるはず、と著者は抗弁するかもしれないが、他のルートは全く示されていない。

 山東半島から朝鮮半島南部を経由するルートが最有力だったとしても、それは経由しただけの話で、しかもその「渡来人」とは一説にあるように、中国の動乱を逃れた難民であったかも知れない。

 わざわざ「大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって」などと、さも文明人が日本列島に先進文明を持ち込んだ、というイメージを与える必要は無い。

 育鵬のように、「大陸や朝鮮半島から」として、ルートのいくつかを地図で示す、というのが学問的な表現である。

 東書の縄文時代の記述ぶりには、「歴史教科書読み比べシリーズ」の前号で、次のように批判した。[a]

 せいぜい3600年前から2千年前の中国文明を記述した後で、いきなり1万年前の日本列島の様子を、しかも原始生活の想像図で描く、という構成では、中国では文字を発明したり、儒学を興したりしていた時代に、日本列島では毛皮を着た原始生活をしていた、という誤解を中学生たちに与えかねない。


「大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって」というごく短い一節にも、疑り深い弊誌なぞは「文明の遅れた日本は中国や朝鮮から先進文明を学んだ」というステレオタイプの歴史観を嗅ぎつけてしまうのである。


■8.「ずいぶんと視界が狭く、ふところが浅く、長い見通しにも欠けた理解」

 いずれにせよ、東書の「紀元前4世紀ごろ、大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって、稲作が九州北部に伝えられ」という記述は、時期にしても、ルートにしても、近年の考古学進展の成果をまったく無視した、現在では通用しない時代像なのである。

 近年のさまざまな研究成果を紹介した後で、『列島創世記』は、こう結論づけている。

 以上のように概観してみると、「朝鮮半島からの渡来者が北部九州に水稲農作の文化を伝え、さらにそれが西日本から東日本へと広がった」という弥生時代の開始像は、それ自体は事実の一部ではあるけれども、ずいぶんと視界が狭く、ふところが浅く、長い見通しにも欠けた理解だったと思わざるを得ない。[2,p182]


 そして、この「ずいぶんと視界が狭く、ふところが浅く、長い見通しにも欠けた理解」をいまだに、わが国の中学生に植え付けようとしているのが、東書の歴史教科書なのだ。

 歴史教科書の執筆者であれば、こうした近年の学問的進展は当然熟知しているはずだ。それを承知で、あえてこういう時代遅れの自虐的かつ近隣諸国崇拝的な記述を押し通している所に、弊誌としては非学問的、かつ確信犯的な偏向記述という疑いを禁じ得ない。

 わが国の明日を担う青少年を教育する上で、しかも国費による公教育で、こういう歴史教科書が使われていて良いのだろうか。

 そもそもこの国の法律は、宝くじや競輪・競馬など公営ギャンブル以外で民間が賭博場を運営することを認めてはいません。

 しかるにパチンコホールで用意されている景品には、一般景品以外に特殊景品というものがあり、出球で特殊景品と交換すれば、パチンコ屋に隣接している特殊景品換金場に持っていけば換金できるのです。

 これを「三店方式」といいますが、風営法は営業者に、現金や有価証券を賞品として提供することや客に提供した賞品を買い取ることを禁じていますが、パチンコ業界の言い分はパチンコホールは法律を遵守し賞品を買い取ることはいっさいしていない、パチンコホールは特殊景品換金場にはいっさい関知していない、という子供だましのような論法です。

 このようなダークな業界をなぜ警察は取り締まらないのか、それはパチンコ業界そのものが巨大なる警察利権となっているからです。

 パチンコメーカーにもパチンコホール大手にもたくさんの警察OBが天下っております。

 警察庁はパチンコ業界の監督官庁として、その外郭団体である保安通信協会で遊技機の仕様が適正であるかどうかを調べる試験を行ったり、さらに、試験に通過した機種を実際に営業に供して良いかどうかの検定を各都道府県の公安委員会で行ったり、あるいは店舗営業の許可を与えたりするなど、業界の生殺与奪の権を握る立場にあるため、癒着が発生しやすい関係にあります。

 例えば、遊技機の型式試験を行う保安電子通信技術協会の前会長は前警察庁長官であった山本鎮彦であり、職員の1/3を警察出身者が占めることや、パチンコメーカー・アルゼでは前警視総監である前田健治を常勤顧問として迎え入れています。

 また、パチンコ業者の団体である東京商業流通協同組合、東京ユニオンサーキュレーションなどに、多くの警察官が天下りしています。

 日本全国でパチンコの違法状態が放置されている理由は、他でもない警察が換金業務を牛耳っているからである、といっても過言ではないでしょう。

実は現在に至るまで、警察官は職質した相手が外国人登録証明書を提示した場合、その真贋を判別するのは、警察官の目以外にないのです。
わかりやすく言うと、そのカードが本物かどうかについて、警察官はその外登証の一連番号などから照会をかけるのではなく、カードの見た目で判断しなくてはいけないのです。
何とも原始的なお話でしょ?

そりゃ通訳捜査官や警察の公安が見れば、そこははっきりとわかりますよ。
でも交番のお巡りさんはあくまで経験で見るわけで、だまされることだってある。
なぜ同じ警察組織内で公安捜査官は刑事や交番勤務陰にその決定的な見分け方を教えないかと言うと、これも徹底した情報管理のため。

この見分け方が警察や入管以外に知れ渡ると、見分けのつかない偽造品が出回るからです。

しかし現在の偽造外登証はすでにかなりの高レベルに達していて、今やホログラムまで入っているので、私でも騙されそうになるほど。


ここまで大手を広げて中国人を中心に受け入れている今だからこそ、この在留カードについても、警察官が現場で正確にその真贋を見分けるための何らかの手が必要なのです。

そこで当然思いつくのが、在留カードに埋め込まれているICチップの読み取り機(リーダー)なのですが、これを各警察官が持ち歩くことは管理面などから、なかなか難しいでしょう。

在留カードの一連番号による照会が一番合理的なのですが、同じ警察組織内の免許センターで情報を管理している運転免許証による人定照会とは違い、警察と法務省が組織を超えて照会と回答をやりとりするのは難しい。

現在に至るまで警察署の警部クラスに聞いてみても、そんな話はありません。

早い話がこの新制度、不法滞在者を一番発見しやすい交番勤務員の警察官が、その真贋を見極める方法を持っていないのです。

ICチップは偽造不可能とはいっても、それは機能であって、見た目にわからない「なんちゃってICチップ」は偽造されないはずがない。
機能が備わっていなくても、それをリーダーにかけるまではバレないのですよ。


管理しやすくなるのは真面目な外国人が届け出た情報だけ。
一番管理すべき犯罪予備軍は引っ越ししたからっていちいち届け出なんか出しませんし、実際に偽物の外登証が警察官に見抜かれなければ全く問題なく生きているのですから、外国人問題はICチップで改善するような話ではないのです。

何よりこの新制度、写真さえついていない保険証を中長期滞在の外国人に配るそうですが、彼らは日本の保険制度を支えるほど払い込みません。
保険証を使って医療サービスを受ければ、外国人なんですから後は帰国します。
滞在し続ける外国人だって支払い続ける保証はありません。
日本人だって払っていない人が多いのですから。

それどころか、身分をなりすまして来日し、医療サービス目的で滞在、完治したら帰国する外国人も、これから増えてくるでしょう。

割を食うのは彼らの医療費を実質負担することになる日本国民なのです。
このままでは日本は福祉貧国になります。

kashino:

数学初心者の大人向け数式の読み方、数学の理解の仕方。

文章より数式で書いてあるほうが理解が深まるという理系向きではない。書いてあるのはそういう人達が無意識でやっていること。つまり、数式を読み飛ばさないとか、自分のわかるレベルにまで具体的に数字や例をあてはめるとか、自分で手を使って導出するとか、定義や言葉は厳密に適用するとか。

ただ、普通に数学が不得意でない人であっても、自分のレベルの数学を超えた数学では、同じように数式を読み飛ばしたり、定義を曖昧にしてしまい、その結果分からなくなったりはしているかも。というわけで、別に初心者向けというわけでもないね、たぶん。

374 : イチゴロー(広西チワン族自治区):11/02/18 01:32 ID:4Z4I3xN4O

三島由紀夫が大蔵省に勤めてたとき、作った資料の文章が難解すぎて使えなかったって話がある

いくら文章力で知性あらわれるっていっても、使いどころ次第でクズになるのな

「景気を回復させる気はない。というかそんな能力は自分に無い。」「財政再建しなければならないので増税します。」「生活保護を始め、社会保障は削ります。マイナス成長はもはや前提だ。」 ・・・政府がここまで言い始めたら「弱者は死んでくれ」と国が言ってるのと一緒。

Twitter / ymScott_ (via shingi)

イスラエル軍によるガザ軍事侵略は、戦略的な沖合埋蔵ガスの支配と所有に直接関係している。

これは領土獲得戦争なのだ。ガザ沖の膨大な埋蔵ガスが2000年に発見されていた。